牧口初代会長と下田
「羊千匹よりも、獅子一匹たれ! 臆病な千人よりも、勇気ある一人がいれば、大事を成就することができる」
牧口常三郎(まきぐちつねさぶろう)初代会長は常々、訴えている。その模範の姿を、自らの生き方を通して示してきた。
戦時下の日本は、国家神道を精神的支柱とし、全ての宗教に神札をまつることを強要。しかし、牧口会長は「信教の自由」を奪い取る権力の横暴に“これこそ亡国の原因”と、毅然と拒否したのである。
やがて、牧口会長は、特高刑事の厳しい監視にさらされていく。
しかし、一国が滅びゆくことを憂え、民衆の幸福のために正義を叫び続けた。
舌鋒鋭く軍部への批判に及んで、「発言そこまで!」と刑事に制止されることも、1度や2度ではなかった。

1943年(昭和18年)7月6日。ついに、牧口会長は、静岡の下田で官憲に連行される。容疑は、治安維持法違反と不敬罪であった。
その後、冷たい牢獄に閉じ込められた牧口会長は、翌44年(同19年)11月18日、72歳で獄死した。
牧口会長の生涯で、最後となった広布旅の天地――それは、下田となった。
この下田の地には今、下田牧口記念会館が立ち、敷地内には「牧口常三郎先生 法難頌徳之碑(ほうなんしょうとくのひ)」が設置されている。
碑文には、こう刻まれている。